先日、「世界から猫が消えたなら」という本を読みました。
著者は川村元気さんです。
詳しく説明してしまうとネタバレにもなりますので、簡単な内容を。
大きな病気に襲われた主人公。人生を諦めかけたその時、目の前には悪魔が。悪魔曰く、「世界から何かを消すことで命を1日伸ばす」
その悪魔と主人公の駆け引きを描いた物語です。
主人公は世界にあるものと引き換えに命を1日、また1日と伸ばします。
皆さんは自分自身の「死」について考えたことはありますか?
自分という存在
この本を読んで、「今僕が消えたらどうなる?」という疑問が浮かびました。
消えたことがないので、なんとも言えませんが、おそらく特に大きな変化はないかと思います。
僕に近しい親族や友人。会社関係など関係者には多少の悲しみと衝撃が走るでしょう。むしろ走って欲しいです。
しかし、世界的に見たら人一人の死であり、世界が慌てふためくような出来事ではありません。
人一人の存在とは、そのようなものかもしれません。
もし僕が、世界の経済を握っている存在であるとか、会社の収入のキーマンであるとか、なにかの分野において絶大な影響力があるならば話は別です。
しかし、今の僕はまだまだそんな影響力なんてない存在だと気付きました。
終焉
自分自身の最期を考えていますか?
僕は全く考えていませんでした。明日も明後日も生きている。来年も再来年も。いつか結婚して、子供ができて、孫ができて、オジイになって死んでいく。
当たり前のようにあるものだと感じていました。
実際はそうでしょうか?
明日が人生最後。今日が人生最後。そんな意識で生きているでしょうか?
人生なんていつ終わりが来るのかわかりません。
最近の事故のニュースを見ていると悲しすぎます。
まだこの世に生まれてから数年から数十年しか経っていない夢と希望に満ちあふれた存在が消えて無くなる。
誰も望んでなんかいないでしょう。しかし、時にはそのような形で終わりが来ることもあるのです。
元気に目が覚めた今日という1日を真剣に生きましょう。
当たり前ではないこの命を、大切につかいましょう。
証
今の時代はとても便利な時代になりました。
様々な方法で生きた証を残せるのです。このブログだってそうだと思います。BANされない限りは、僕が世界から消えた後も存在し続けるのです。
自分の生きた証を残しましょう。爪痕を残してやる。そんな勢いで生きたいものです。
「最期」は誰しもやってきます。これは世界中の人間の共通の課題です。だからこそ、もっと身近に考えるべき課題ではないかと思います。
便利になった時代のツールを利用して、さらなる影響力を。一人でも多くの人に「僕」という存在を知ってもらいたいです。
与えられた命を存分に使い切りましょう!
生きた証を残しましょう!
笑顔と喜びで最幸の人生を!
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