桜も散り、日を追うごとに過ごしやすい気候になってきています。僕は、昨年、自動二輪の免許を取得しました。バイクです。
ポカポカ陽気のこの時期のバイクはとても清々しいです。
先日、良いお日柄でしたので、バイクで通勤しました。そこでの出来事をお話しします。
危機一髪
自宅を出て、意気揚々とバイクにまたがり会社へ。
気持ちの良いお天気の中、いつもと同じ通勤路を走っていました。
側道から本線への合流地点でのことです。
僕が本線へ侵入しようとしたときのこと。
右から来た車とぶつかりそうになりました。
僕の完全な不注意です。確認不足です。
危機一髪とはまさにこのことだと言わんばかりの出来事でした。
自己検証
僕の住む街はのどかな田舎町です。豊かな田んぼが広がり、交通量なんて都会などとは比べ物にならない量です。
しかし、行き交う車は都会も田舎も同じ車であり、田舎だから交通ルールを守る必要がないことなんてありえません。
切に感じたのが、交通ルールは破るためにあるのではなく、自分自身の命を守るために存在しているのだと実感しました。
田舎では、夜になると交通量がグンと減ります。動物の方が多かったりします。
近頃の自分を振り返ってみると、一旦停止をおろそかにする傾向があったなと感じました。
警察がいないから守らなくても良い。とか
車がいないから止まる必要がない。とか
そんなことは自分の勝手であり守るものは守らなければならないと、人として当然のことに気づかせてもらえた出来事です。
これは交通ルールに限らず、私生活の約束事も同じだと思います。
例えば、人が見ていないから大丈夫。とか
バレなかったら大丈夫。とか
このようにどんな行いにも気の緩み・手の抜いた作業になったりします。
いつ・いかなる時も、自分自身にできる最高の判断を。最高の取り組みを。
今までの自分を改める、良い機会になりました。
大難を小難に。小難を無難に。
こんな言葉があります。
「大難を小難に。小難を無難に。」
まさしく今回は無難にすんだということです。
大難とは大変な状況。今回の出来事に当てはめてみると、もしかしたら右から来た車にぶつかって事故を起こしていたかもしれない。それを、間一髪のところで、何事もない、無難な出来事としておさめていただいた。
こうして、何事もなく生きていることがどれほどありがたいことなのか。ごくごく当たり前の出来事がどれほどありがたいことなのかを見にしみて感じた瞬間でした。
と同時に、交通事故や災害は他人事ではなく、すぐ隣にいるということです。
テレビやニュースで騒がれているような事故を見て、「かわいそうだな」「大変だな」と他人事のように感じますが、事故なんていつ起きるかわからないのです。
いつ自分が加害者になるのか、また、被害者になる場合もあり得るのです。
今日も無難であるということは当たり前ではない。という喜びを感じる出来事でした。
喜びと感謝
日常の中にはたくさんの喜びであふれているのです。また、自分自身の生き方を改める出来事もちゃんと用意してあります。
もっともっと喜びの感度をビンビンにしていきたいとおもいます。
また、自分自身にはとくに関係のないような出来事にも、深く掘り下げれば、なにかメッセージがあるのだということ。
今回は、「バイクで事故寸前」という出来事でしたが、ちょっとした出来事の中に込められたメッセージを探るということを突き詰めていきたいと思います。
「今日も生きてる。ありがたい」
喜びと感謝の心で!!
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