真夏の暑い日。喉がカラカラだ。そんな時
「お母さん、お水ちょうだい。」
するとお母さんはコップにお水を入れて準備してくれました。
ここで質問です。このお水を差し出された時どう思われますか?
「こんなに暑いのに、たったのこれだけなの?」と受け取るのか。
「わざわざ、準備してくれてありがとう」と受け取るのか。
コップ一杯の水にはなんら変わりはありません。
しかし、「喉が渇いた」という不満を抑えるために必要な水の量のボーダーラインは人それぞれ異なります。
ボーダーライン
満足か不満のボーダーラインをハードルに置き換えてみます。
満足感のハードルが高くなればなるほど、高水準の生活をしなければ満足できません。高水準の生活ができなくなった時、生活の中から喜びが減ります。
逆に申しますと、満足のハードルを下げることができたなら、日常生活は喜びで溢れるのです。
先ほどのお水の話。
この2枚の写真は明らかにお水の量が異なります。
①のお水はコップの半分しか入っていません。
②のお水はコップに半分以上入っています。
喜びのハードルが低ければ、どちらであっても「お水が飲める。ありがたい。」と喜びの心で受け取ることができます。しかし、喜びのハードルが高くなれば、①のお水を差し出された時、同じお水でも少ないと感じ「不足」を感じてしまうのです。
また、朝寝坊。
人生において一度ならず何度か朝寝坊はした経験があるかと思います。
「わぁ寝坊だ。やってしまた。遅刻だ」となることでしょう。しかし、寝坊という出来事でも「こんなにも寝ることができた。」と喜び事として受け止められたり、「最悪の事態」と感じ取ってしまったりと寝坊ひとつとっても喜び事へと変えることができるのです。
実際に寝坊してしまったら、あまり悠長なことを言っている場合ではないかと思います。しかし、起きてしまった事実はどうしようもありません。「飲み会」や「遊びすぎ」と理由をつけるのではなく、迷惑をかけたのなら謝罪をして、あとは喜びに繋げたら良いのです。
このように、ハードルを下げれば日常の中に喜びが増えるのです。
環境
人それぞれのハードルは、生まれ育った環境で作られるものだと思います。
ハードルの位置とは、人それぞれの当たり前と思う感覚の位置だと思います。
「当たり前」の感覚は喜びを生み出すことができません。
たとえば、「この作業は明日にしよう」
さて、当たり前のように「明日」と言っていますが、そもそも明日は本当に来るのでしょうか。おそらく、僕は明日も生きていることでしょう。
しかし、絶対に生きているなんてありえないのです。明日の命、1時間後の命、30分後1秒後の命なんて保証なんてされていません。明日の命の確証など絶対あるものではないのです。
どのような事も、少し目線を変えてみるだけで、感謝や喜びが生まれてきます。今一度、自身の身の回りを見渡してみるのも大切な事だと思います。
喜びいっぱい
今回お伝えした内容は自分の中にある喜びの「ハードル」。そして、ものを見る「目線」です。
まずは自分が当たり前だと思っているハードルの位置を知ってみましょう。そして、そのハードルを下げる努力をするのです。できる・できないではなく、心がけるという習慣が大切なのです。また、いつも何気なく感じているものの見方を変えてみるのです。
そうすると、必ず喜びが生まれます。日頃の生活の中にある喜びを感じ、今日も喜びづくめの一日にしましょう。
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