命について考える。命の重さ「いのちだいじに」

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生き方

目次【いのちだいじに】

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命について考える

「命・いのち・生命」

命はとっても大切です。そんな命について思ったことがありますので、皆様の命について考える機会になればと思いました。この地球上に生きる生物にはそれぞれ命があると思います。もちろん、僕にもあなたにもそれぞれ命があります。今回は、「命の重さ」にフォーカスしたいと思います。ぜひ最後まで読んでいただき命の尊さってなんだろうって考えてもらえたら幸いです。

質問

あなたが飼っている愛犬と見ず知らずの他人。

どちらの命も生命の危機に直面しています。しかし、助けられる方はどちらか一方だけ。

あなたはどちらの命を助けますか?

愛してやまない愛犬ですか?それとも、見ず知らずの他人ですか?

この答えに正解はないと思います。

考えていただきたいのは、「命の重さ」についてです。

愛犬も命があるように、人間にも命があります。その命にどちらが重いとか、軽いとかないと思うのです。

震災の報道を見て感じた違和感

2011年3月11日。午後2時46分。

東北大震災が発生しました。

それ以降、毎年3月11日になると、震災の悲惨さとその事実を風化させないための報道。失われた命への追悼など。その日は、震災関連の報道でいっぱいです。

僕は、この状況を見て違和感を感じたのです。

震災で失われた命のために。とか、今を生きる私たちはどう生きる?とか。

災害で失われた命へ凄まじいフォーカスする状況を見ながら、「命の重さ」ってなんだろうと疑問を抱いたのです。

ここで考えてもらいたいのが、先程の質問した命の重さです。

もちろん、震災で亡くなられた方への無念や残された遺族の悲しみなど想像でしかないです。

しかし、私たちは、常にたくさんの命の犠牲の上に今があることをあなたはどれだけ理解できていますか?

共存共栄

この地球上にはたくさんの生命「命」が共存共栄して生きています。

おそらく人間は知能の発達によって凄まじ進化を遂げましたが、決して地球は人間のものでもなければ、人間のために地球があるわけでもないと思います。

その証拠に、どれだけ科学技術が進歩したところで天気を自由に操ることはできません。それどころか、予測するものの、明日の天気がどうなのか?完璧な答えを知ることすらできないのです。

大雨が降るとか、大雪が降るとか、台風が来るとか、地震が起こるとか。

その出来事を人は勝手に「自然災害」「大災害」と名前をつけますが、それはあくまで人間目線の考え方であり、地球規模からすれば何気ない出来事なのかもしれません。

10年前の大震災ではたくさんの命が失われました。

しかし、人間は自分たちの命を繋ぐために、たくさんの命を今日も利用して生きています。

大震災によって失われた命も私達が生きるために失われる命。どちらも同じ命です。

犠牲の上に成り立つ命

日々人間が生きるために、どれだけの命をいただいているのか?

その命に関しては全くと言って良いほど関心がないのは何故でしょう?

命の報道を見聞きして不思議に思いました。

「今日も私達が生きるために数万羽の鶏の命をいただきました!」という報道を目にしたことがありますか?

「今日も人間のために数万頭の牛さんと豚さんに犠牲になっていただきました!」という報道を耳にしたことがありますか?

ないですよね?

でもこれは現実に今も起きている事実であり、今後も続くことでしょう。

人間は地球上に住む生命の一種類であること。その進歩進化によって自然を破壊し、たくさんの生命を利用して生きていること。

野山を切り拓き、道を作り街を作りました。住む場所・食べ物に困った獣たちは餌を求めて人里へやって来ます。すると人間は害を与える獣といってはどんどんと駆除します。

共存共栄する地球上において、この姿は正解なのでしょうか?

皆さんも私達人間の行動を考えてみてください。

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まとめ

今日もこうして生きていることに関して、たくさんの命の犠牲があって生きていることを忘れてはならないと思います。

もしかすると、未曾有の大災害とか甚大なる被害は、たくさんの命に対する恩を忘れた人間に対するメッセージなのかもしれませんね。

大震災の報道の最中、命についての報道をたくさん見聞きしました。僕は震災当日は東北から遠く離れた関西でテレビの画面越しに様子を眺めていた程度で現場も直接見たこともないです。

犠牲になられた方への無念、残された家族の心中は計り知れないものです。だからこのような発言をしているのかもしれません。

「命」に関する報道を見て感じた命の重さ。きっと、どんな命も大切であり、どうでもいい命など存在しないこと。人間の命、愛犬の命、猫の命、鶏の命、地球上に存在する全ての命。どれもこれも大切な命です。

僕もあなたもこれまでたくさんの命の犠牲のおかげで生きてきたこと。

そしてこれからもたくさんの命の犠牲をおかげで生きるということ。

それは僕もあなたも同じことです。

どんな命も「いのちだいじに」に暮らしましょう。そして、たくさんの命への恩を忘れないように日々の心がけをしましょう。

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